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夏の草むしりはつらいよぉ、でも...

先週の火曜日に8月の草むしりをしてきました。午前中とはいえ、強烈でしたねぇ。当然汗だくです。でも、こういう作業していると、通りがかる皆さんがいろいろ差し入れしてくれるんですね。スポーツドリンク、アイス。ありがたいです。
汗だくで草むしりしながら考えたこと三題について書きます。
①5月に植え込みした花のなかに「ポーチュラカ」があります。これは冬の植え込みの時に隙間ができたことの対応として横に伸びる花を植えて密集感を出そうとしてのものです。しかし、これがいざ雑草を取ろうとする段になると、雑草と入り混じってどこからどこまでが雑草で、どこからどこまでがポーチュラカなのかがわからないことです。これは途方に暮れますよ。でも腹をくくってポーチュラカの根元を探っていくとはっきりわかるんです。それでも雑草はこちらをあざ笑うかのように紛らわしく根元に生えているのです。それを丁寧に取り除くのです。テメ!そんなとこに逃げ込んだつもりだろうが、こっちはお見通しだぜ、なんて言いつつ抜いているんです。手間かかります(>_<)。
②でも、汗かきながら"ハッ"と思ったのは、大学院で研究作業していたときのことです。研究テーマにどこから手を付けていけばいいのか途方に暮れたとき、愚直に一個一個取り組んで問題を解きほぐしてアプローチしていくしかなかったことです。そうだ!真理に到達するにはどこに根本があるのか一本一本の枝から辿っていくしかないのだ!近道なんかないんだ!と気が付きました。なんだ、草むしりも一緒だよ。この草むしりをやることで将来、大学に行って研究生活に入るときの予行練習していると思えばいいんだよ!生徒諸君!人生に無駄なことなどないもないよ。
③跪いて地面に膝をつけています。そうするとちょっとひんやりとした土を感じられます。気持ちがいい。土いじりをしない者としては子供のころはともかく、大人になって膝で地面の感覚はそうそう感じることはありませんでした。ニュースで観るように、大人になって膝で地面の感覚をしるとしたら土下座かもしれない。それだったら無念だし、辛い。土下座のような悲しいことでなく、花に囲まれて土の感触を感じられることはとても平和的で幸せなことだと思ったわけです。
<オマケ> 雑草だと目の敵にして抜いているわけですが、抜いていていつも思うのは昭和天皇のエピソードです。陛下が植物の研究をしているときにお側にいた人がそこから先は雑草です、って言ったのです。それに対して陛下が「雑草という草はない。それぞれに名前がある」と言ったという話です。確かに彼らにしても目の敵にされる謂れは全くないんですよね。それぞれ必死に生きているんですよね。狭いスペースをみつけて一生懸命葉を伸ばしているんですよね。そう思うとちょっと複雑ですね。

大量の汗をかきながらこんなことを考えつつ草むしりをしてるんですね。黙々と作業をしているときたくさんの思索に耽っているのかも知れない。それはそれで幸せな時間なのでしょう。
お手伝いしてくれた生徒諸君ありがとう。でも草むしりにもきっと意義はあるよ。無駄に時間を潰していたら辛いだけだしもったいないよ。草むしりからも何かを得ような!  Y.F.(8/12)

 

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